三角点探訪日記

全国に約10万点ある三角点を訪ねている
探索人ヤナギの探訪記録
目指せ!10万訪座(笑)

第10回 廃坑の栃原金山…愛宕山にある三角点(茨城県久慈郡大子町)

点名:清水窪 2011年11月27日(日)【過去の記録】

概要

栃原金山入口

 栃原金山とは、茨城県の最北部久慈郡大子町にある鉱山で、私が訪れた2011年には既に操業を停止している状態でした。Webサイトの廃墟検索地図では栃原金山の歴史はこのように書かれています。

 約600年前発見され江戸時代に佐竹藩の隠れ金山として採掘されていたが、その後長らく放棄され、昭和62年、東洋金属鉱業が鉱業権を得て金山として再開した。その後、金相場の低迷により再び採掘中止に。九〇年に始まった観光金山も、一時は「砂金探し」を売り物に繁盛したが、今は再開のめどさえたたない

 今回はその廃坑を通過し更にその奥、南東方向にある愛宕山の山頂、標高477mの山頂に設置されている三角点、清水窪に行ってみたいと思います。

取付

清水窪地形図

 県道32号線の栃原本田の辺りで左折すると、手小谷沢沿いの車1台分が通れる道に変化し、その道沿いに栃原金山はあります。愛宕山山頂までは、その坑口を通過し更に奥に入って行き、林道が尾根を横切るBの地点あたりで左手の山に入り山頂を目指すのが、一番わかりやすいルートではないかと思います。ただし地形図には愛宕山山頂到達する登山道が書き込まれてなく、かつガイドブックに載るような有名な山ではないので、行ってみて判断するしかなさそうです。ネットで検索しても何人かは到達している方がいますが、ルートを紹介しているサイトは見受けられませんでした。

道程

 国道118号線の頃藤交差点から県道32号線に入り約10分位すると、上記の写真のように、栃原金山の看板と共に東洋金属鉱業株式会社の看板が見えてくるので、左折します。


 ゲートらしきものの遺構が見受けられます。左手には観光地化した際の名残か売店のような建物が立っており、車を停めておける駐車スペースも確保してあったようです。当然、訪れた当時人の気配は全くありませんでした。ここからは車高が高い車でないと入って行けないようなので歩いていくことにしました。

栃原金山ゲート前

 歩き始めるとすぐに舗装道路が、ダート道路に変わりました。木材搬出のトラックが通るのか、今現在でも使われている道の雰囲気が漂っています。この日はたまたま日曜日だったので遭遇しませんでしたが…。

栃原金山への道

 左手に手小谷沢の流れが見えますが、何かの理由で人為的に流れを変化させているのか、または補修したのか…なんとも不自然な景観になっています。

手古屋沢の流れ

 更に沢沿いに暫く歩きます。

栃原金山への道

 右手に工場らしき建物が見えてきました。鉱山に対する知識が全くないので何をする建物かと訝っていると、観光地化しただけあって右下の方に説明版がありました。
 それにしてもこんな山奥に来て窓ガラスに向かって石を投げた人がいるみたいですね。暇な人もいるもんですねぇ。

砕鉱工場

 その説明版によると、どうやら砕鉱工場みたいです。

砕鉱工場案内看板

 鉱石ホッパー【左】 ベルトコンベアー【右】

鉱石ポッパー&ベルトコンベアー

 粗鉱貯工場

 そして、また少し歩くと建物が見えてきました。

栃原金山への道3

 栃原金山坑口と内部です。

 山の斜面に建てられた小屋、警備員室と書かれています。

 振り返ると重機が置かれていて、その横に石碑があるのですが、当時石碑の中身について全く分からなったのですが奥久慈レポートというブログに記載内容のことが書かれています。

「栃原金山」坑道近くに、金山整備令で「閉山」を余儀なくされた、「無念の碑」と呼ばれる、その「紀念碑」が建てられている。

現在の「栃原金山」の前身とみられる「金山沢鉱山」は、昭和初期から操業してきたが、国策により閉鎖を余儀なくされ、その金山閉鎖を記念して建てられた記念碑は、昭和18年10月建立で、東京鉱山監督局長の撰文となっている。資料では、「近代の栃原金山における操業の一端を示している興味深い碑文」と、この記念碑を位置づけている。

 碑文の後段には、「政府の方針に依り金鉱業整備の指令を受け国策に順応して茲に閉山の止むなきに至る金田氏及関係者が前後15年の長きに亘り産金報国に全力を傾倒し苦辛経営の経過は真に筆舌の能く盡す所に非ず」などと、国策により閉鎖を余儀なくされた無念の思いが刻まれている。

 栃原金山を通り過ぎ愛宕山山頂に向かいます。金山を過ぎても道が荒れているという事もなく普通に歩ける道が続きます。

愛宕山への道

 Aの道がヘアピンカーブする所、左手の谷で土砂が流れ込んで来ているのかと思いきや、木材搬出用の作業道でした。しかも道が切ってあるということは、切り出しを既に終えていることを表しています。ここ2~3年以内に切った道なのでしょう。

ヘアピンカーブ

 常陸大宮市に入ると道が突然舗装路になりました。行政の財政事情の一端が垣間見られる一幕ですね。

愛宕山への道2

 Bの愛宕山の尾根と林道がぶつかる場所に到着しました。ここから林道を離れ愛宕山山頂に向かって山中分け入って行きます。写真を見てもわかるように今回は道が全くないので地形図とコンパスを使って進んで行きます。(その当時私はまだGPSというものを持っていませんでした。)

愛宕山山頂への道3

 尾根を外さず慎重に歩きます。

愛宕山山頂への道3

 向こう側が開けているうえ、更に間伐(注1)適切に行われているので、尾根の向こう側がやたらと眩しいです。

愛宕山山頂への道4

 それで……、こうなっていました。全伐(注2)の伐採地です。それにしてもきれいに刈り取ってありますね。

伐採地

 この縁を伝って向こう側まで行きます。
 下に見える作業道は、先ほど出てきたヘアピンカーブの所で道が切ってあった作業道に繋がっていると予想されます。

伐採地の縁を歩く

 伐採地をひたすら歩きます。

伐採地をあるく

 伐採されているので見晴らしはよいです。
 正面に見える少し飛び出している山は奥久慈男体山です。ここで昼食を取りました。

伐採地から見る奥久慈男体山

 更に伐採地を進みます。

伐採地を進む

 伐採地が終わる所。尾根はその先にも続いています。この尾根を外さずに行きます。

伐採地の端

 傾斜が次第に緩やかになり、山頂が近づいていることが感じられます。

愛宕山山頂直下

到達

 そこに本点はありました。

三等三角点清水窪

三等三角点 清水窪

データ

点 名 清水窪
等 級 三等三角点
設置年 明治34年
所在地 茨城県久慈郡大子町大字大沢字手古屋1798番地
時 間 片道栃原金山入口から約2時間半
難易度 ★★★☆☆
一口メモ … 林道を外れて山に入ると道が無いのでルートファインディングの知識と技術が必要です。最低限、等高線を読んで谷と尾根の区別がつくこと、ピークをいくつ越えたかわかること、コンパスを使い目指す方向が割り出せること、できなければ危ないかと思われます。


注1) 森を成長させるために木を間引くこと。間引くことにより森の中に日光が入ってくるようになり樹木のさらなる成長に繋がる。
注2) 樹木を全部伐採すること。通常はこの後植林が行われる。
当ブログを参考に、実際に行かれて起きる不利益に対して当ブログ管理者は一切責任を負いません。

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